酒見寺の裏、ずいぶん素朴な作風で、実に五百もの数を作られてずらりと並ぶ石仏群。
行った当時は「誰がいつなぜ作ったのかもわからない」とされていたのが、2015年に調査されて、どうやら江戸時代初期に作られたものと判明。
もともと酒見寺に納められていたものらしく、戦国時代の戦乱で焼けてしまった酒見寺が江戸初期に再興されていく際、供養として作られたのではないか、と。
美的な仏像を見慣れていると、ちょっとユーモラスなくらい素朴ではあるんだけれど。
しかしこれだけ無数に並んでいると、江戸初期の人の信仰心が立ち上がってくるようで。

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