戦前には天保山運が近くに7800坪という巨大な敷地を持ち、四天王寺と並んで大阪随一の大寺院だったのが、大阪大空襲で全焼。現在の大阪港駅南に移転するも、敷地は500壺ほどと1/10以下に縮小。しかも阪神淡路大震災でも被災して本堂が解体され、今の本堂は鉄筋コンクリート造りに。
1923年、新造されたばかりの第70号潜水艦が試験潜水中に沈没、88名もの殉職者を出してしまった。それを供養する如来像。
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