もともと本多忠勝が入ったときには10万石だった大多喜も、一度廃藩されて再立藩したりするうちにわずか2万石に程度なってしまい、大多喜城も荒廃。元禄の頃には幕府から再建を命じられても予算がなく、塀すらない有様だったとか。現在のものは1835年の図面をもとに再建。
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