かつては伝法川という川が、千鳥橋駅のすぐ対岸あたりから西へと伸びてきてました。もともとはそのまま大阪湾まで流れてたんですが、新淀川が1910年に開削されて接続され、ここに水門が置かれました。1951年から伝法川も埋め立てられていって、門のすぐ後ろだけ漁港として残されてます。
たまに開閉するようにしてるみたいで、次は6月11日、と表示されてました。門は日立造船が製造したものです。

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